日々のニュースについて考えたことを色々と. 少し頭を使う必要があるかもです
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
すごく眠いんですけど笑
勉強しようとおもったのが、8時。気づいたら今になってました。
皆さん、今まで”勉強してた”と読んだでしょう。ちがうんですよね、、、
もしそうなら、さっさと寝ますよ。実は8時から今まで寝てしまいましてですね、、、
自分なかでもこれはすこし腹がたちますね笑
ということでブログ更新。
今日、いや昨日の講義で、英語のSpeakingの授業だったのですけど、そこで一人一人が前に出て、自分のHomeTownについて発表する、というものだったのですね。
講師が言うには、気負う必要は無い、リラックスしなさい、と。それから、一人終わるごとにアドバイスをするから、後に発表する人はそれを聞いて、自らの発表に活かしなさい、という意味のことを言われまして、ですね、発表が始まったのです。
さてさて、まぁ主観的な意見で申し訳ないんですけど、皆さん、あがってるんですよね。まぁ、最初の人は仕方ないとしてもですよ、その後に続く人たちも、ほとんど変化がみられない。
ましてや講師の方が、一回一回、「Peper を見るな、Not reading but speaking」と言われ、「黒板を使ったらいい。その使い方にしても、、、」とアドバイス、それにも関わらず、あまり変化がないわけなんですね(少しはある)。
講師の方は外国人で、上のアドバイスもほとんど英語で喋られたのですけど、まさか意味が分からなかったのではあるまいし、、、
僕はこの時、感じたことがあるのです。
今の世の中で、創造力というか、日本人は自分で考えて何かを創り出す、あるいは行動するのが苦手だ、という説をよく聴きます。
つまり、与えられた仕事を完璧にこなすのは得意だが、自分で仕事を創り出すのは苦手だと。
とこらが今回、彼らは、その、”与えられた仕事”すら、彼らはどうこなしていいか分からないのでは、と思います。
今回の”与えられたタスク”はすごく明確で(少なくとも僕にとってはそう)、特別苦労しないもののように思えた。ただ言われたとおりに黒板をつかう、原稿から目をあげる、もっとリラックスして、、、中学生じゃあるまいし、今更、恥ずかしいなんてことはないでしょう。
しかし、彼らは現に、それらのタスクを上手くこなせていない。
これを見たとき、僕は、「応用力の欠如」を感じた。
つまり、”自分の前の人の”アドバイスは、とても明確で、”自分の前の人の”スピーチを繰り返すならば、それはそれは完璧にこなすのではないだろうか。
しかし、そのアドバイスを、自分の原稿にあてはめて、ということが出来ないらしい。
不要だと思われる部分を削ったり、逆に付け加えたり、と、前の人に出されたアドバイスを自分のスピーチに「取り入れる」、「応用する」ということです。
自分が書いてきた原稿は、そっくりそのまま発表する義務があると思っているのでしょうかね。そうにしても、そもそも、原稿という概念を念頭においているのが間違いだと思いますが。
よく、基礎の学習をしているとき、「これ、何の意味があるんだよ、使えないだろ」という声を聞きます。
おそらく彼らは、実用的な技術の学習を行うときに、とまどうのでしょう。基礎の部分と実用的な部分を切り離してしまう。実用的な部分においても、再び、指導者から、一から十まで手取り足取り、教えてもらう必要があるらしいのです。
僕の父が言っていましたが、「要領の悪いやつは、使えない。」
これは、つまり応用力があるのか、ないのか、ということだと思います。要領よくしようと思ったら、たとえば、重要でないと思われる部分の手を抜いたりするわけですが、それをするには、その仕事の核となる、つまり基礎となる土台の理解を、十二分にしていないといけない。
そして今回の事象から、その土台の理解のみならず、その土台(バックボーン)と、具体的な仕事の内容との”繋がり”を理解することも重要ではないかと思うのです。
彼らには、2つ目の理解が欠けているのですね。
結局は、何か新しいものを創るのも、何か基礎となるものがあって、それの応用だとおもうのです。だから、日本人がどうこう言われるのは、この「応用力」のせいではないかと考えられるのですね。
ちなみに、僕の発表はというと、、、来週にまわされました(時間の関係上)笑
勉強しようとおもったのが、8時。気づいたら今になってました。
皆さん、今まで”勉強してた”と読んだでしょう。ちがうんですよね、、、
もしそうなら、さっさと寝ますよ。実は8時から今まで寝てしまいましてですね、、、
自分なかでもこれはすこし腹がたちますね笑
ということでブログ更新。
今日、いや昨日の講義で、英語のSpeakingの授業だったのですけど、そこで一人一人が前に出て、自分のHomeTownについて発表する、というものだったのですね。
講師が言うには、気負う必要は無い、リラックスしなさい、と。それから、一人終わるごとにアドバイスをするから、後に発表する人はそれを聞いて、自らの発表に活かしなさい、という意味のことを言われまして、ですね、発表が始まったのです。
さてさて、まぁ主観的な意見で申し訳ないんですけど、皆さん、あがってるんですよね。まぁ、最初の人は仕方ないとしてもですよ、その後に続く人たちも、ほとんど変化がみられない。
ましてや講師の方が、一回一回、「Peper を見るな、Not reading but speaking」と言われ、「黒板を使ったらいい。その使い方にしても、、、」とアドバイス、それにも関わらず、あまり変化がないわけなんですね(少しはある)。
講師の方は外国人で、上のアドバイスもほとんど英語で喋られたのですけど、まさか意味が分からなかったのではあるまいし、、、
僕はこの時、感じたことがあるのです。
今の世の中で、創造力というか、日本人は自分で考えて何かを創り出す、あるいは行動するのが苦手だ、という説をよく聴きます。
つまり、与えられた仕事を完璧にこなすのは得意だが、自分で仕事を創り出すのは苦手だと。
とこらが今回、彼らは、その、”与えられた仕事”すら、彼らはどうこなしていいか分からないのでは、と思います。
今回の”与えられたタスク”はすごく明確で(少なくとも僕にとってはそう)、特別苦労しないもののように思えた。ただ言われたとおりに黒板をつかう、原稿から目をあげる、もっとリラックスして、、、中学生じゃあるまいし、今更、恥ずかしいなんてことはないでしょう。
しかし、彼らは現に、それらのタスクを上手くこなせていない。
これを見たとき、僕は、「応用力の欠如」を感じた。
つまり、”自分の前の人の”アドバイスは、とても明確で、”自分の前の人の”スピーチを繰り返すならば、それはそれは完璧にこなすのではないだろうか。
しかし、そのアドバイスを、自分の原稿にあてはめて、ということが出来ないらしい。
不要だと思われる部分を削ったり、逆に付け加えたり、と、前の人に出されたアドバイスを自分のスピーチに「取り入れる」、「応用する」ということです。
自分が書いてきた原稿は、そっくりそのまま発表する義務があると思っているのでしょうかね。そうにしても、そもそも、原稿という概念を念頭においているのが間違いだと思いますが。
よく、基礎の学習をしているとき、「これ、何の意味があるんだよ、使えないだろ」という声を聞きます。
おそらく彼らは、実用的な技術の学習を行うときに、とまどうのでしょう。基礎の部分と実用的な部分を切り離してしまう。実用的な部分においても、再び、指導者から、一から十まで手取り足取り、教えてもらう必要があるらしいのです。
僕の父が言っていましたが、「要領の悪いやつは、使えない。」
これは、つまり応用力があるのか、ないのか、ということだと思います。要領よくしようと思ったら、たとえば、重要でないと思われる部分の手を抜いたりするわけですが、それをするには、その仕事の核となる、つまり基礎となる土台の理解を、十二分にしていないといけない。
そして今回の事象から、その土台の理解のみならず、その土台(バックボーン)と、具体的な仕事の内容との”繋がり”を理解することも重要ではないかと思うのです。
彼らには、2つ目の理解が欠けているのですね。
結局は、何か新しいものを創るのも、何か基礎となるものがあって、それの応用だとおもうのです。だから、日本人がどうこう言われるのは、この「応用力」のせいではないかと考えられるのですね。
ちなみに、僕の発表はというと、、、来週にまわされました(時間の関係上)笑
PR
この記事にコメントする