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日々のニュースについて考えたことを色々と.  少し頭を使う必要があるかもです 

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先日、話題になった「裁判員制度」

これについて、すこしおもうところがあるのですね。

裁判員制度のメリットとして多く挙げられるのが、「民意の反映」でしょうか。
他にも、裁判をより身近に感じたり、裁判官への関心を高める目的等々、様々でありますが。

後ろ2つであげたようなことに関しては、なるほど、と思います。

聞いたところではありますが、選挙で投票時に、最高裁の裁判官の不信任投票も行うらしいのですが(選挙権をもっていないので知りませんでした)、多くの場合裁判の判例も読む機会を持ちませんし、誰がどんな判決を下したか、なんて知らないのですね。ゆえに、「無印」=「信任」となっている問題があるようです。

今や、裁判官のみならず、政治家についても興味のない人が増えてますが、、、

裁判員制度で、両者の溝が少しでも埋まることが期待できるでしょう。それはおいといて、ですね。

今回は、最初の「民意の反映」ですね。

これは果たしてメリットなのか、といいたいわけです。

裁判官はエリートとしてそだち、一般的な市民感覚に欠けているゆえに、納得できない判決が下される。
じゃあ、誰が納得できればその裁判は正しいのか、といいたいのです。

確かに、今の国の仕組みでは、国民が主権を持っていて、ゆえに国民が納得出来るような「政治」がなされるべきなんでしょうが、それはあくまで建前にすぎんだろう、と思うわけです。

社会は、結局は分業してるわけだから、政治のことは政治家しかやれないだろうし、「裁判」(これも大きくは政治の一部だが)だって、いってしまえば「裁判官」しかやれんだろう、といいたいのです。

こうなった時点で、国民の意見をどう反映させればいいんだ、と感じます。
国民は、大まかなことは言える。つまり「幸せな国を作ってほしい」だとか「何とかしてほしい」だとか。

しかし具体的な部分の多くは、すべてその道の専門家がやってしまうんです。
そして我々は「国民」の”専門家”ではない。

そもそも国民というのがあやふやなものです。民意というものが広すぎる。全体として見るから、「多数決」が大きなキーワードになりますが、多数決とは「常識」みたいなもので、その常識が社会をゆがめてしまっている場合、「多数決」で得る決定が国民に「良い」とは言えないのではないでしょうか。

今回の裁判員制度で、民意を取り入れたとしても、かえってその社会のゆがみが入り込む可能性がある。


そしてもう一つ、大きな問題は、ご存知の通り「人が人を裁くこと」ですね。

だから、民意だろうが、エリートの偏見だろうがなんだろうが、まずこの問題に答えを見出せないのに、「さて民意と偏見、どちらが正しい?」なんてばかげた話だと思うのです。


しかし、物事は何でもアクションを起こさないと始まらない。裁判員制度、はじめからすべて出来上がった制度ではなく、これから育ててゆく制度だと思います。
しかも先に述べたように、メリットも十分認められる。いい制度にしていこう、というのは変わりません。

ただ、その「民意の反映」がメリットだ、という部分については疑問だったわけですね。





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