日々のニュースについて考えたことを色々と. 少し頭を使う必要があるかもです
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今日は、食事の支度をしてるときにセールスマンがやってきまして、うっかりドアを開けてしまい、色々閉口いたしました。
まぁ最終的には上手く追い返したわけですが、しかし、気づいてみるとセールスマンと喋るのも意外と楽しいということに気が付きます笑
いや、本当は危険で、ドアなど不用意に開けるべきでは無いんですけどね。
でも、神経とがらして、なおかつ上手く会話していくのもスリリングだし、何より勉強になります。
新聞でも、テレビでも、なにかをPRする部分は注意してみるようにしてます。
というのは、その部分こそ彼らのもつ「話術」がいかんなく発揮されているわけで、以外と気づかない(しかし重要な)身振りや間の取り方など、学ぶところは多い。
その観点からみると、セールスマンやチラシ等では、まさにそのことが言える訳で、彼らは必死です。
言葉選びから何から、その道のいわばプロの技術があります。
もっと深いところまでいくと、例えば詐欺の手口なんかは実に巧妙であります。
その手口自体は詳しく知らないですが、しかし、騙されている方が数多くおられるのは、耳に入ってくるわけで、彼らの話術というのはまさに洗練されたものであることが伺えます。
まぁ、さすがにわざと詐欺にあってみようという気にはなりませんが笑
こう考えると、世の中において、勉強しようとおもえばいくらでも素材は転がっているもんですね。
やはり、勉強とは「与えられてやるもの」ではないです。
普通に生活しているだけで、気づく気づかないに関わらず、無数の課題が「与えられて」います。
しかしながら、自分で「気づいてやら」ねば何も起こらないんだ、と。
もし、常にそれを意識しておれば、相当なノウハウや知識、経験が身に付くでしょうね(ただしノイローゼになる可能性がありますが)。
ちなみに、ここでいう”勉強”とは、小中高で与えられるものとは少し違います。
僕はここでこれらを差別化しても良いかと思われる。
つまり、小中高で与えられるものは”教育”あるいは”教養”であって、”勉強”とは少し異なる、と。
もちろん「自宅で勉強する」という風に、「勉強」が無いわけではないが、しかしそれらも、自主的でないならば「勉強」と呼べるかどうか。
もちろん、義務教育は必要です。
そして、これらは或る程度「与えてやるもの」だと思います。じゃないと身に付かない。
しかし、今自分は大学生になりましたが、もはや「教育」はあまり存在せず、「勉強(多くは研究や学習と呼ばれる)」が大半を占めるようになりました。
まるで「与えられない」んですね。
やるもやらないも自分次第です。やらなければ何も起こらない。
大学ではそれを経験するところでもあります。
実際、社会に出てみて、その下積みがないと何をしていいか分からなくなるんだと思います。
上司の言うことだけ、つまり与えられたことだけをしておけば良い、なんてことは、おそらくないと思います。
将来、社会に出たときに困らないよう、頼るべき”確かな自分”への核を、今のうちに十分育てておこうと思いました。
ちなみに、口だけ巧くなってもダメなんですけどね、中身が薄いと。
まぁ最終的には上手く追い返したわけですが、しかし、気づいてみるとセールスマンと喋るのも意外と楽しいということに気が付きます笑
いや、本当は危険で、ドアなど不用意に開けるべきでは無いんですけどね。
でも、神経とがらして、なおかつ上手く会話していくのもスリリングだし、何より勉強になります。
新聞でも、テレビでも、なにかをPRする部分は注意してみるようにしてます。
というのは、その部分こそ彼らのもつ「話術」がいかんなく発揮されているわけで、以外と気づかない(しかし重要な)身振りや間の取り方など、学ぶところは多い。
その観点からみると、セールスマンやチラシ等では、まさにそのことが言える訳で、彼らは必死です。
言葉選びから何から、その道のいわばプロの技術があります。
もっと深いところまでいくと、例えば詐欺の手口なんかは実に巧妙であります。
その手口自体は詳しく知らないですが、しかし、騙されている方が数多くおられるのは、耳に入ってくるわけで、彼らの話術というのはまさに洗練されたものであることが伺えます。
まぁ、さすがにわざと詐欺にあってみようという気にはなりませんが笑
こう考えると、世の中において、勉強しようとおもえばいくらでも素材は転がっているもんですね。
やはり、勉強とは「与えられてやるもの」ではないです。
普通に生活しているだけで、気づく気づかないに関わらず、無数の課題が「与えられて」います。
しかしながら、自分で「気づいてやら」ねば何も起こらないんだ、と。
もし、常にそれを意識しておれば、相当なノウハウや知識、経験が身に付くでしょうね(ただしノイローゼになる可能性がありますが)。
ちなみに、ここでいう”勉強”とは、小中高で与えられるものとは少し違います。
僕はここでこれらを差別化しても良いかと思われる。
つまり、小中高で与えられるものは”教育”あるいは”教養”であって、”勉強”とは少し異なる、と。
もちろん「自宅で勉強する」という風に、「勉強」が無いわけではないが、しかしそれらも、自主的でないならば「勉強」と呼べるかどうか。
もちろん、義務教育は必要です。
そして、これらは或る程度「与えてやるもの」だと思います。じゃないと身に付かない。
しかし、今自分は大学生になりましたが、もはや「教育」はあまり存在せず、「勉強(多くは研究や学習と呼ばれる)」が大半を占めるようになりました。
まるで「与えられない」んですね。
やるもやらないも自分次第です。やらなければ何も起こらない。
大学ではそれを経験するところでもあります。
実際、社会に出てみて、その下積みがないと何をしていいか分からなくなるんだと思います。
上司の言うことだけ、つまり与えられたことだけをしておけば良い、なんてことは、おそらくないと思います。
将来、社会に出たときに困らないよう、頼るべき”確かな自分”への核を、今のうちに十分育てておこうと思いました。
ちなみに、口だけ巧くなってもダメなんですけどね、中身が薄いと。
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