日々のニュースについて考えたことを色々と. 少し頭を使う必要があるかもです
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
前回のつづきです。
前回、「死」とは一つの概念でしかないだろう、ということを書きました。
つまり言い換えれば、「死」はあくまで「生」の一部であるわけです。
だからこそ、人は「死」を無視することができないのかもしれません。
ここで、生物を単に子孫を残すことを本能という形でプログラミングされただけの存在だと考えた場合、「死」や「生」を考えるのは簡単でしょう。
しかし今回は「MOMENT」の主人公に乗っ取って、上の定義を否定して、”魂”(のようなもの)があると信じてみることにします。
結論から言ってしまうと、「生」(つまりは死)の意味なんてものは人それぞれのものだし、またそれは人に伝えるようなものではないんですよね。
でもそれで終わっちゃうとあんまりですから、すこしそれに関係するような話をしたいと思います。
「MOMENT」はいくつかの章にわかれているんですが、その中で僕が面白く感じた章はいずれも「恋愛」が絡んでいました。
これはしごく当然のような気がするんですよね。
というのは、”魂”を定義したとき、「他人」というのは「生」や「死」に影響する大きな要素のひとつでしょう。
そしてそのなかでも、異性の関係というのは別格の存在です。
「君さえいれば、他誰もいらない」と本気で思えるような存在なのだから、容易に理解できるでしょう。
そして何より、異性の関係というのは、”子孫を残す”という生物として最大の仕事をするのに必要不可欠なものです。
となれば、「生」や「死」について語る時に、これらは欠かせないファクターなんですね。
しかし、「恋愛」というのも人生と同じくらい語るに複雑なものです笑
つまり考えれば考えるほど複雑になっていっちゃうのが「生きる」ということなんです笑
でも僕はそれでこそ良いと思うんです。
「自分のためだけに生きているのさ」と、自由奔放に生きていれば楽しいのかな、と思いますが、しかし実際はそうはいかない。
人は誰だって、親のために生き、社会のために生き、子供のために生き、愛する人のために生きていかなければならない。
全く自由にならないなかで、自分というものを見つけていかなければならない。
そうやって死ぬまで苦労するのが人生であり、だけどそれはとても素敵なことだと思うのです。
そう考えると、「死ぬ前に自分が思うこと」を今考える必要なく、その時を(期待して!)ただ待っていればいいのではないでしょうか。
最後に、生きててよかった、と思えるような人生を是非送りたいですね。
前回、「死」とは一つの概念でしかないだろう、ということを書きました。
つまり言い換えれば、「死」はあくまで「生」の一部であるわけです。
だからこそ、人は「死」を無視することができないのかもしれません。
ここで、生物を単に子孫を残すことを本能という形でプログラミングされただけの存在だと考えた場合、「死」や「生」を考えるのは簡単でしょう。
しかし今回は「MOMENT」の主人公に乗っ取って、上の定義を否定して、”魂”(のようなもの)があると信じてみることにします。
結論から言ってしまうと、「生」(つまりは死)の意味なんてものは人それぞれのものだし、またそれは人に伝えるようなものではないんですよね。
でもそれで終わっちゃうとあんまりですから、すこしそれに関係するような話をしたいと思います。
「MOMENT」はいくつかの章にわかれているんですが、その中で僕が面白く感じた章はいずれも「恋愛」が絡んでいました。
これはしごく当然のような気がするんですよね。
というのは、”魂”を定義したとき、「他人」というのは「生」や「死」に影響する大きな要素のひとつでしょう。
そしてそのなかでも、異性の関係というのは別格の存在です。
「君さえいれば、他誰もいらない」と本気で思えるような存在なのだから、容易に理解できるでしょう。
そして何より、異性の関係というのは、”子孫を残す”という生物として最大の仕事をするのに必要不可欠なものです。
となれば、「生」や「死」について語る時に、これらは欠かせないファクターなんですね。
しかし、「恋愛」というのも人生と同じくらい語るに複雑なものです笑
つまり考えれば考えるほど複雑になっていっちゃうのが「生きる」ということなんです笑
でも僕はそれでこそ良いと思うんです。
「自分のためだけに生きているのさ」と、自由奔放に生きていれば楽しいのかな、と思いますが、しかし実際はそうはいかない。
人は誰だって、親のために生き、社会のために生き、子供のために生き、愛する人のために生きていかなければならない。
全く自由にならないなかで、自分というものを見つけていかなければならない。
そうやって死ぬまで苦労するのが人生であり、だけどそれはとても素敵なことだと思うのです。
そう考えると、「死ぬ前に自分が思うこと」を今考える必要なく、その時を(期待して!)ただ待っていればいいのではないでしょうか。
最後に、生きててよかった、と思えるような人生を是非送りたいですね。
PR
この記事にコメントする