日々のニュースについて考えたことを色々と. 少し頭を使う必要があるかもです
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この歳になって、というか、もう大分前から気づいていたんですけど、「もらう幸せ」より「あげる幸せ」のほうがもう絶対素敵ですね。
あと3日で、20回目の誕生日を迎えるわけですが、もはやプレゼントに対する期待感は子供のころとは比べ物にならないくらい薄れています。
それは未知なる世界が狭くなって、そういったものに夢を置いておくことが出来なくなったから、という理由も確かに否定は出来ません、
しかし、子供の頃より圧倒的に多くなった、”何かをしてあげる”という経験が一番おおきな原因だと思います。
何でもそうですけど、形の見えないことというのは、計り知れないエネルギーを含んでいます。
プレゼントをもらって、確かに形あるものを手にしても、”心”という目に見えないものを満足させるにはいまいち力が足りません。
目に見えないものを満足させるには、目に見えない何かが与えられる必要があります。
だから人は、何かを”待っている時間”にこそ幸福を感じるのではないでしょうか。
けれども、僕はその”待っている時間”が与えてくれる幸せより、何かをしてあげるときの心の様子(穏やかさ)に感じる”幸せ”のほうが、より「能動的」で何倍も美しいように思います。
星新一の小説、「ある夜の物語」。
人々に夢を与え続けるサンタはその夜、”一番幸せだったのは私かもしれない”と思います。
とっても良い話ですね。
あと3日で、20回目の誕生日を迎えるわけですが、もはやプレゼントに対する期待感は子供のころとは比べ物にならないくらい薄れています。
それは未知なる世界が狭くなって、そういったものに夢を置いておくことが出来なくなったから、という理由も確かに否定は出来ません、
しかし、子供の頃より圧倒的に多くなった、”何かをしてあげる”という経験が一番おおきな原因だと思います。
何でもそうですけど、形の見えないことというのは、計り知れないエネルギーを含んでいます。
プレゼントをもらって、確かに形あるものを手にしても、”心”という目に見えないものを満足させるにはいまいち力が足りません。
目に見えないものを満足させるには、目に見えない何かが与えられる必要があります。
だから人は、何かを”待っている時間”にこそ幸福を感じるのではないでしょうか。
けれども、僕はその”待っている時間”が与えてくれる幸せより、何かをしてあげるときの心の様子(穏やかさ)に感じる”幸せ”のほうが、より「能動的」で何倍も美しいように思います。
星新一の小説、「ある夜の物語」。
人々に夢を与え続けるサンタはその夜、”一番幸せだったのは私かもしれない”と思います。
とっても良い話ですね。
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