日々のニュースについて考えたことを色々と. 少し頭を使う必要があるかもです
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話題に入る前に、ちょっと。さっき宅配便がアマゾンから届いて、何かというと、僕が数日前頼んでおいた本がやってきたんですよ。で、これが実はオススメの本で、ちょっと紹介。
「神々の山嶺(上)(下)」(集英社) 作者は夢枕獏っていう人で、知ってる人は知ってるんですが、ほらあの、陰陽師って、はやったじゃないですか、アレの作者です。
内容は登山についてなんですが、山に興味なくても全然よめて、自然の過酷さや、それに立ち向かう人々の熱情が痛いほど伝わる作品だと思います。
ぜひ読んでみてください、、、ということで話題といきます。
今回のテーマは第4号記事と少し似ているようですが、やはり核心は異なる。
まずは管理人の体験から紹介します。
大学の帰り道、友人(二人)と、まぁ他愛ない話を交わしていたときのことなんですが、 僕がこういった質問を投げかけた。
「運転免許、いつとる?」
彼らは(間髪いれずに)、「夏休み」と答えて、これは僕も予想してたことなんで、むしろこれが来てもらわないと困る、という回答であります。
僕は即座にこういったわけなんですね。
「危なくないか?」
と、こういった訳は、我々住む場所は都会、つまり公共な交通機関が整っている場所、であるから、もし運転免許をとっても車に乗る機会が少ないとかえって危険なのでは?という思いからである。
いわゆるペーパードライバーになることへの危惧である。
ところが、今時こんなことを考える若者などいないのだろうか、彼らはこの危惧を鼻で笑ってくれたのである。
「地元は田舎で、車がないと動けない」「乗ろうと思えばいつでも乗れる」等々の理由を並べた訳で、そういうわけならおとなしく引き下がろう、と思っていたのだったが、そのうち耳の疑うような言葉が彼らから聞えてきたのである。
まず、「老齢な人でものっているのだから、若者の僕らが何を心配するのだ?」と、まぁまだこれは許せる。
しかし、「実際、車なんて左側走っておけば、事故らないでしょ」
僕はこの言葉を聞いたとき一瞬とまどった。どう返すべきか分からなかったからである。これほど冗談と思いたい言葉はなかった(実際僕は笑ってごまかそうとした)。
たしかに僕も車を実際に公道で走らせたことはないし、運転がどうとかは知らない。もしかしたら彼らのいうように「車線さえ合わせればいいもの」なのかもしれない(だとすればこの事故の多さは何だ、といいたいが)。
しかし、運転がどうとか以前の問題が、彼らにはあると思うのだ。
僕は生きてきた中で、”二つのかっこよさ”なるものを認識してきた。
一つは、”若者のかっこよさ{A}”というもので、反社会的な立場をとることで体験できる、鮮烈なかっこよさ、であり、
もう一つは、対して”大人のかっこよさ{B}”というもので、逆に落ち着きを纏うことで生まれる余裕、クールさがおりなすかっこよさ、である。
ネーミングについてはニュアンスが一致しきれていないが、無視していただくことにし、分かり易くするために今回の車の例でもって、これら二つを比較してみる。
{A}ならばまさしく、「シートベルト?だせぇ」である。
これに対して{B}側の人間は、むしろシートベルトをしない態度に首をかしげる。同乗者を心地よく乗せて、安全運転をするのが立派というか普通というか。
さて、どちらがかっこいいかはあなた次第だし、この先変わることもあるだろう。ただ、一般的に言えば、僕のネーミングの通り、大人になるにつれて{B}になる傾向が高い。
ちなみに僕はかなり{B}よりで(或る意味寂しい部分もあるが笑)、彼らの言葉にうなずくことはできなかった。
つまり、「車なんて簡単だぜ」というより、車の危険性や問題なども含めた全体像、つまり”車をよくしった”運転がクールだと思うわけである。
それにはまず車に乗ってみないと話にならないのは確かだが、問題は、彼らのもつ軽率な意識の元、車に挑んだりはしないだろうということである。
今回、彼らの言葉が、冗談半分で発せられたものと思いたいが、それはそうとして、交通事故がなくならない理由に、その一部に、やはり上記のような要素が加わっているのだと、思うわけですね。
たとえ、彼らが(彼らの言う)若者の能力の高さで、危なげない運転をこなし「それみろ」と思うのは結構だが、高齢になって再び同じ問題に突き当たる。
さて、自分の能力を見切り、免許を快く返上するクールさが彼らにわかるだろうか。
「神々の山嶺(上)(下)」(集英社) 作者は夢枕獏っていう人で、知ってる人は知ってるんですが、ほらあの、陰陽師って、はやったじゃないですか、アレの作者です。
内容は登山についてなんですが、山に興味なくても全然よめて、自然の過酷さや、それに立ち向かう人々の熱情が痛いほど伝わる作品だと思います。
ぜひ読んでみてください、、、ということで話題といきます。
今回のテーマは第4号記事と少し似ているようですが、やはり核心は異なる。
まずは管理人の体験から紹介します。
大学の帰り道、友人(二人)と、まぁ他愛ない話を交わしていたときのことなんですが、 僕がこういった質問を投げかけた。
「運転免許、いつとる?」
彼らは(間髪いれずに)、「夏休み」と答えて、これは僕も予想してたことなんで、むしろこれが来てもらわないと困る、という回答であります。
僕は即座にこういったわけなんですね。
「危なくないか?」
と、こういった訳は、我々住む場所は都会、つまり公共な交通機関が整っている場所、であるから、もし運転免許をとっても車に乗る機会が少ないとかえって危険なのでは?という思いからである。
いわゆるペーパードライバーになることへの危惧である。
ところが、今時こんなことを考える若者などいないのだろうか、彼らはこの危惧を鼻で笑ってくれたのである。
「地元は田舎で、車がないと動けない」「乗ろうと思えばいつでも乗れる」等々の理由を並べた訳で、そういうわけならおとなしく引き下がろう、と思っていたのだったが、そのうち耳の疑うような言葉が彼らから聞えてきたのである。
まず、「老齢な人でものっているのだから、若者の僕らが何を心配するのだ?」と、まぁまだこれは許せる。
しかし、「実際、車なんて左側走っておけば、事故らないでしょ」
僕はこの言葉を聞いたとき一瞬とまどった。どう返すべきか分からなかったからである。これほど冗談と思いたい言葉はなかった(実際僕は笑ってごまかそうとした)。
たしかに僕も車を実際に公道で走らせたことはないし、運転がどうとかは知らない。もしかしたら彼らのいうように「車線さえ合わせればいいもの」なのかもしれない(だとすればこの事故の多さは何だ、といいたいが)。
しかし、運転がどうとか以前の問題が、彼らにはあると思うのだ。
僕は生きてきた中で、”二つのかっこよさ”なるものを認識してきた。
一つは、”若者のかっこよさ{A}”というもので、反社会的な立場をとることで体験できる、鮮烈なかっこよさ、であり、
もう一つは、対して”大人のかっこよさ{B}”というもので、逆に落ち着きを纏うことで生まれる余裕、クールさがおりなすかっこよさ、である。
ネーミングについてはニュアンスが一致しきれていないが、無視していただくことにし、分かり易くするために今回の車の例でもって、これら二つを比較してみる。
{A}ならばまさしく、「シートベルト?だせぇ」である。
これに対して{B}側の人間は、むしろシートベルトをしない態度に首をかしげる。同乗者を心地よく乗せて、安全運転をするのが立派というか普通というか。
さて、どちらがかっこいいかはあなた次第だし、この先変わることもあるだろう。ただ、一般的に言えば、僕のネーミングの通り、大人になるにつれて{B}になる傾向が高い。
ちなみに僕はかなり{B}よりで(或る意味寂しい部分もあるが笑)、彼らの言葉にうなずくことはできなかった。
つまり、「車なんて簡単だぜ」というより、車の危険性や問題なども含めた全体像、つまり”車をよくしった”運転がクールだと思うわけである。
それにはまず車に乗ってみないと話にならないのは確かだが、問題は、彼らのもつ軽率な意識の元、車に挑んだりはしないだろうということである。
今回、彼らの言葉が、冗談半分で発せられたものと思いたいが、それはそうとして、交通事故がなくならない理由に、その一部に、やはり上記のような要素が加わっているのだと、思うわけですね。
たとえ、彼らが(彼らの言う)若者の能力の高さで、危なげない運転をこなし「それみろ」と思うのは結構だが、高齢になって再び同じ問題に突き当たる。
さて、自分の能力を見切り、免許を快く返上するクールさが彼らにわかるだろうか。
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