日々のニュースについて考えたことを色々と. 少し頭を使う必要があるかもです
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夏になるとどこに行くか、色々考えてるんですけどねぇ
とりあえず、海、こいつは一度は拝まないと満足できない気がしますが。
あとは、山もいいですね、キャンプとか。
まぁ、どこにいくとしても、ちゃんと自分で計画立てて、今までいったことない(けど行ってみたかった)場所で、その過程から全部を楽しむつもりでいきたいです。
じゃないと、親に連れて行ってもらうのと同じですしね。それもいいんですけども。
さて、まわりの人たちと付き合ってると、たまに自分がすこしおかしいのかなと感じることがありますね。
いや、今回のことは「おかしい」というのではないのですけど、、、
たぶん、僕は、他人にそれほど執着しない(興味がうすい)タイプ、なんだと感じます。
魅力を感じる人はもちろんあって、その人をすごく知りたいと思うことはありますけど、それも「自分」という域から逸脱することはない。
皆さんは誰か特定の人を”憎む”、もしくは”嫌っ”て、それを”露骨に出す”ことがありますかね。
僕は、ないんですよ。
昔から”全く”ということではないですけど、それでも、人に「嫌い」を伝えることは苦手でした。
生活していくなかで、ある考え方に共感したりもして、僕は次第に”人を憎む”ことがなくなった。
そもそも、人と付き合っていて、「腹がたつ」という事自体が、ほとんどないんですね。
腹がたつ、というのはまぁ置いといて、「憎む」という行為を、僕は忌み嫌っているんですよ。それはなぜか。
”憎む”という行為は、内容はどうであれ、「他人に執着する」ことであり、見方を変えれば「その人に魅惑されている」のと等しいわけなんですよ、僕にとっては。
憎んでいる人について考えるたび、心の中はその人で満たされる。つまり”支配”される。
こんなに気に食わないことはないですよ。
憎む相手によって、くしくも、最も多くの時間や思考を奪われる、なんてあほらしい。
その大切な時間や思考は、もっと他の大切な部分にまわしたほうが、はるかに気分がいいはずです。
だけども、一旦「憎む人」を作ってしまったら、無視しようとしても困難なのは事実なので、だったら最初から、その「憎む人」を作らなければいいと考えたのです。
ここなんですよね、僕が最初に言った部分は。つまり、言葉では簡単だけど、誰でも出来ることじゃない、というわけです。
基本、僕は、「腹がたつのは、自分が彼と同じレベルにいるからだ」と考えています。
実の所、この考え方が、大変効果を発揮してくれている気がしますね。
常に高い次元へ物事を昇華させてやると、余分なものが飛ばされる。この余分なものこそ、僕を「腹立たせる」要因だと思います。具体的に言えば、「私的な感情」などですか。
だから僕は、「自分を常に高い位置に見積もれ」と言っているわけではないんですよ。これだと、ただの傲慢な人間になってしまう危険があります。
そうじゃなくて、その”物事”を高い次元にもっていけ、というわけなんですね。
こうすることによって、「言い方はひっかかるが、なるほど、こいつのいうことは一理ある」と思えるようになります。それまでだと、「なんだ、腹が立つ奴だな」で終わってしまうんですよね。
ある人が何気なく発したいやみを、その相手と同じレベルで受け取ってしまうと、当然”いやみ”にしか聞えないですよ。そうじゃなくて、その発せられた言葉を高次で考えてみる。その上で、意味の或る言葉なら、真摯に受けとめることが出来るだろうし、そうでないなら捨ててしまって、それで終わりですよ。
ごちゃごちゃと書いてきましたが、これらを一言で表すならば、いい言葉があるんです(若干違和感もありますが)。
それはまさしく、
「罪を憎んで、人を憎まず」
人は誰しも、苦手な人(タイプ)ってあると思うんですよね。だけど、それを否定してしまっては、自分の成長をも望めなくなってしまうのではないでしょうか。
とりあえず、海、こいつは一度は拝まないと満足できない気がしますが。
あとは、山もいいですね、キャンプとか。
まぁ、どこにいくとしても、ちゃんと自分で計画立てて、今までいったことない(けど行ってみたかった)場所で、その過程から全部を楽しむつもりでいきたいです。
じゃないと、親に連れて行ってもらうのと同じですしね。それもいいんですけども。
さて、まわりの人たちと付き合ってると、たまに自分がすこしおかしいのかなと感じることがありますね。
いや、今回のことは「おかしい」というのではないのですけど、、、
たぶん、僕は、他人にそれほど執着しない(興味がうすい)タイプ、なんだと感じます。
魅力を感じる人はもちろんあって、その人をすごく知りたいと思うことはありますけど、それも「自分」という域から逸脱することはない。
皆さんは誰か特定の人を”憎む”、もしくは”嫌っ”て、それを”露骨に出す”ことがありますかね。
僕は、ないんですよ。
昔から”全く”ということではないですけど、それでも、人に「嫌い」を伝えることは苦手でした。
生活していくなかで、ある考え方に共感したりもして、僕は次第に”人を憎む”ことがなくなった。
そもそも、人と付き合っていて、「腹がたつ」という事自体が、ほとんどないんですね。
腹がたつ、というのはまぁ置いといて、「憎む」という行為を、僕は忌み嫌っているんですよ。それはなぜか。
”憎む”という行為は、内容はどうであれ、「他人に執着する」ことであり、見方を変えれば「その人に魅惑されている」のと等しいわけなんですよ、僕にとっては。
憎んでいる人について考えるたび、心の中はその人で満たされる。つまり”支配”される。
こんなに気に食わないことはないですよ。
憎む相手によって、くしくも、最も多くの時間や思考を奪われる、なんてあほらしい。
その大切な時間や思考は、もっと他の大切な部分にまわしたほうが、はるかに気分がいいはずです。
だけども、一旦「憎む人」を作ってしまったら、無視しようとしても困難なのは事実なので、だったら最初から、その「憎む人」を作らなければいいと考えたのです。
ここなんですよね、僕が最初に言った部分は。つまり、言葉では簡単だけど、誰でも出来ることじゃない、というわけです。
基本、僕は、「腹がたつのは、自分が彼と同じレベルにいるからだ」と考えています。
実の所、この考え方が、大変効果を発揮してくれている気がしますね。
常に高い次元へ物事を昇華させてやると、余分なものが飛ばされる。この余分なものこそ、僕を「腹立たせる」要因だと思います。具体的に言えば、「私的な感情」などですか。
だから僕は、「自分を常に高い位置に見積もれ」と言っているわけではないんですよ。これだと、ただの傲慢な人間になってしまう危険があります。
そうじゃなくて、その”物事”を高い次元にもっていけ、というわけなんですね。
こうすることによって、「言い方はひっかかるが、なるほど、こいつのいうことは一理ある」と思えるようになります。それまでだと、「なんだ、腹が立つ奴だな」で終わってしまうんですよね。
ある人が何気なく発したいやみを、その相手と同じレベルで受け取ってしまうと、当然”いやみ”にしか聞えないですよ。そうじゃなくて、その発せられた言葉を高次で考えてみる。その上で、意味の或る言葉なら、真摯に受けとめることが出来るだろうし、そうでないなら捨ててしまって、それで終わりですよ。
ごちゃごちゃと書いてきましたが、これらを一言で表すならば、いい言葉があるんです(若干違和感もありますが)。
それはまさしく、
「罪を憎んで、人を憎まず」
人は誰しも、苦手な人(タイプ)ってあると思うんですよね。だけど、それを否定してしまっては、自分の成長をも望めなくなってしまうのではないでしょうか。
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