日々のニュースについて考えたことを色々と. 少し頭を使う必要があるかもです
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唐突ですが、泣くことって美徳でしょうかね。
最近、なにかまわりのあちこちに、「涙」というワードがぶらさがっているのですね。これは別に自分が最近、何かに感動し涙した、という出来事があったわけでもなく、特に普通の生活なのですが、この数日、なにか自分が目に付いたキーワードを答えよ、といわれたら「涙」になるんですよ。
皆さんもそんなことないですかね。なにか最近、或ることにからめて物事が起こる、とか、ある人に関係することがいやに目につく、なんてことです。
まぁ、それはあるなしどうでもよいのですが、「涙」の話です。
色んな状況の涙が上げられますよね。感動して、くやしくて、切なくて、わけもわからず、、、
自分の感情が心から溢れた部分が涙となっている、なんてことも考えられますが、ともかく、状況によって涙はかわる。
もし、美徳どうのこうのを言うのであれば、涙によってそれぞれ考えねばならんのですが。
むりやり、一般的に言って、どうでしょうか。
ああ、時代によっても変わりますか。男は人の前で泣いてはならん、などですね。今もそれはすこし残っておりまして、まぁ男が泣くことは恥ずかしいという観念はありますね。
そこらへんも大雑把に甘味して、考えてみるとどうでしょうかね。
例えば、誰かとの別れのシーンで、涙がよく見られます。
別れ、というのは「死」も含みますが、この場合多くは、悲しみの涙でしょうね。
”人前では” 耐えるのが望ましいか、それともキラリと見せるのがよいのか、耐え切れずに顔を覆うのがよいのか。
”その後一人になって” ここならば、と泣くのか、それとも最後まで自分の気持ちを処理しきるのか。
こうやって書いてみて、これは無理だ、と思いました。これは人による、と。その人の持つ価値観によって変わるだろう、と。
そのほかにも、泣かねば前を向けない、泣くことはリセットするための手段なんだ、という場合は美徳とかそういう問題ではないでしょうしね。
自分に関していうならば、それぞれの状況によって、自分の好きな涙とそうでないものとを分けていますね。
例えば、自分の親しい人が死んだとしても”泣かぬ”と決めている。
というより、こういうと薄情みたいですがそうではなくて、泣く気持ちにならんように、普段から常に意識しようと考えているわけなんですね。
人は誰でも急に死ぬ。だから別れるという状況に関して、別れてしまってから気づいたように悲しむのはやめよう、と。
ただ、もしそれでも泣いてしまうとしたら、人はそういう風につくられているんだな、と考えます。人は、人が死んだら泣くように作られてしまっているんだ、本当は泣く要素なんて一つもないんだけどね、と。
逆に憧れる涙があるんですが、世界に数多ある絶景、もしくは歴史がしみついた荘厳で偉大な建物、そういったものを、現地へ実際赴き、ふれ、なにも考えないような涙を流し、しばらく時を忘れてみたいと感じます。
ただ、それ、はたから見ればすごい変な人に見えますね笑
もしくは、なにかここに特別な思い入れがあるのかな、と思われてしまう。別によろしいが、、、
ちなみにテストがほとんど終わりまして、すっごい身軽になりました。
最近、なにかまわりのあちこちに、「涙」というワードがぶらさがっているのですね。これは別に自分が最近、何かに感動し涙した、という出来事があったわけでもなく、特に普通の生活なのですが、この数日、なにか自分が目に付いたキーワードを答えよ、といわれたら「涙」になるんですよ。
皆さんもそんなことないですかね。なにか最近、或ることにからめて物事が起こる、とか、ある人に関係することがいやに目につく、なんてことです。
まぁ、それはあるなしどうでもよいのですが、「涙」の話です。
色んな状況の涙が上げられますよね。感動して、くやしくて、切なくて、わけもわからず、、、
自分の感情が心から溢れた部分が涙となっている、なんてことも考えられますが、ともかく、状況によって涙はかわる。
もし、美徳どうのこうのを言うのであれば、涙によってそれぞれ考えねばならんのですが。
むりやり、一般的に言って、どうでしょうか。
ああ、時代によっても変わりますか。男は人の前で泣いてはならん、などですね。今もそれはすこし残っておりまして、まぁ男が泣くことは恥ずかしいという観念はありますね。
そこらへんも大雑把に甘味して、考えてみるとどうでしょうかね。
例えば、誰かとの別れのシーンで、涙がよく見られます。
別れ、というのは「死」も含みますが、この場合多くは、悲しみの涙でしょうね。
”人前では” 耐えるのが望ましいか、それともキラリと見せるのがよいのか、耐え切れずに顔を覆うのがよいのか。
”その後一人になって” ここならば、と泣くのか、それとも最後まで自分の気持ちを処理しきるのか。
こうやって書いてみて、これは無理だ、と思いました。これは人による、と。その人の持つ価値観によって変わるだろう、と。
そのほかにも、泣かねば前を向けない、泣くことはリセットするための手段なんだ、という場合は美徳とかそういう問題ではないでしょうしね。
自分に関していうならば、それぞれの状況によって、自分の好きな涙とそうでないものとを分けていますね。
例えば、自分の親しい人が死んだとしても”泣かぬ”と決めている。
というより、こういうと薄情みたいですがそうではなくて、泣く気持ちにならんように、普段から常に意識しようと考えているわけなんですね。
人は誰でも急に死ぬ。だから別れるという状況に関して、別れてしまってから気づいたように悲しむのはやめよう、と。
ただ、もしそれでも泣いてしまうとしたら、人はそういう風につくられているんだな、と考えます。人は、人が死んだら泣くように作られてしまっているんだ、本当は泣く要素なんて一つもないんだけどね、と。
逆に憧れる涙があるんですが、世界に数多ある絶景、もしくは歴史がしみついた荘厳で偉大な建物、そういったものを、現地へ実際赴き、ふれ、なにも考えないような涙を流し、しばらく時を忘れてみたいと感じます。
ただ、それ、はたから見ればすごい変な人に見えますね笑
もしくは、なにかここに特別な思い入れがあるのかな、と思われてしまう。別によろしいが、、、
ちなみにテストがほとんど終わりまして、すっごい身軽になりました。
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