日々のニュースについて考えたことを色々と. 少し頭を使う必要があるかもです
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ほんとカラカラの梅雨ですね。
うれしいような、うれしくないような、、、
今日の朝はクロックマダムを作りました。
どんなものかは調べていただくとすぐ分かるんですが、意外とおいしく、みためもオシャレに仕上がりまして、満足であります。
目玉焼きをジューシーに焼くのが、意外とテクニックを要し、奥が深いんですね。
自分はあんまり朝、強くないんですが、これなら割といけそうです、、、とはいってもメンドクサイので、クロックムッシュ(目玉焼きを抜いたヤツ)どまりですけどね笑
前に大学の講義の中で、クローンに関するテーマがあり、少し考えるところがありました。
クローン、脳死、これらのワードは近年、かなり白熱した議論を引き起こしておりますが、今回、脳死は置いといて、クローンだけ。
といっても、クローン、脳死共々、完璧な答えはおそらく出ないでしょうね。「否定するもの」と「待つもの」、両者の立場は、どちらも尊重されるべきものです。
何か他の、より高次な解決があれば、それを望むところですが、、、
講義では、クローン技術を使って産まれたペットの猫が、飼い主に送り届けられた、という記事を読みました。最新の記事ではありませんが。
ここで結論を先に述べてしまうと、僕はクローンはあまり歓迎できません。
それは「神への冒涜」やら何やらの理由ではなく、単純に、”感情的に”イヤですね。あまり感情論で、話を進めるのもどうかとは思いますが。
大体、クローンで出来上がった個体は、”容姿、性格ともに瓜二つの他人”なのです。少なくとも僕はそう認識している。
僕は、クローンが感情的にイヤという風に言いましたが、クローン技術で、例えば医療現場で使われる(のかどうかは知りませんが)、自らの皮膚をクローン再生し、、、っていうのは別に構わないんですよね。
ただ、今回、はじめの記事にあった事例は、あまり歓迎できない。
つまり、クローンによって個体を生み出すとき、それを、”元の個体の代わり”として扱うのに抵抗があるのです。
ここからすこし感情的な部分もあるのですが、自分が”ある人”を定義するとき、その人の容姿や性格だけで定義することは、まずない。
彼と(あるいは彼女と)、過ごした日々、共有した記憶なども、その人を形作る一つの原因となるのです。
だったら、クローンでどんなに等しい人格の彼を作ろうが、それは全くの他人なんですね。
で、そういう意識の元、クローンを作るのはいいんですけど、記事における飼い主の意識は、明らかにそれとは異なりますよね。
どんなに辛い出来事であっても、僕はそれを、その人と共有した過去の一部として尊重したい。
クローンによって、例えば亡くなった友人が甦るような感覚になったとしたら、その大切な過去の1ページを、無かったことのようにして忘れてしまうのではないか。僕はそれを最も恐れ、許せないんですよ。
だから僕はクローンに対し、否定的な感情があるわけなんですね。
しかし、先ほども言ったように、医療現場では、クローン技術を待ち望む声がありまして、まったく排除せよ、という訳ではないんですが。
でも、考えてみてほしいのは、当然、その技術が医療現場のみで使われるはずがない、ということです。現に、もはやその一例を知りました。
今回はこの辺で終わりますが、この先、このテーマに関する問題や事実が多く出てくるでしょうから、その度、よく考えてみたいものです。
それでは、また。
うれしいような、うれしくないような、、、
今日の朝はクロックマダムを作りました。
どんなものかは調べていただくとすぐ分かるんですが、意外とおいしく、みためもオシャレに仕上がりまして、満足であります。
目玉焼きをジューシーに焼くのが、意外とテクニックを要し、奥が深いんですね。
自分はあんまり朝、強くないんですが、これなら割といけそうです、、、とはいってもメンドクサイので、クロックムッシュ(目玉焼きを抜いたヤツ)どまりですけどね笑
前に大学の講義の中で、クローンに関するテーマがあり、少し考えるところがありました。
クローン、脳死、これらのワードは近年、かなり白熱した議論を引き起こしておりますが、今回、脳死は置いといて、クローンだけ。
といっても、クローン、脳死共々、完璧な答えはおそらく出ないでしょうね。「否定するもの」と「待つもの」、両者の立場は、どちらも尊重されるべきものです。
何か他の、より高次な解決があれば、それを望むところですが、、、
講義では、クローン技術を使って産まれたペットの猫が、飼い主に送り届けられた、という記事を読みました。最新の記事ではありませんが。
ここで結論を先に述べてしまうと、僕はクローンはあまり歓迎できません。
それは「神への冒涜」やら何やらの理由ではなく、単純に、”感情的に”イヤですね。あまり感情論で、話を進めるのもどうかとは思いますが。
大体、クローンで出来上がった個体は、”容姿、性格ともに瓜二つの他人”なのです。少なくとも僕はそう認識している。
僕は、クローンが感情的にイヤという風に言いましたが、クローン技術で、例えば医療現場で使われる(のかどうかは知りませんが)、自らの皮膚をクローン再生し、、、っていうのは別に構わないんですよね。
ただ、今回、はじめの記事にあった事例は、あまり歓迎できない。
つまり、クローンによって個体を生み出すとき、それを、”元の個体の代わり”として扱うのに抵抗があるのです。
ここからすこし感情的な部分もあるのですが、自分が”ある人”を定義するとき、その人の容姿や性格だけで定義することは、まずない。
彼と(あるいは彼女と)、過ごした日々、共有した記憶なども、その人を形作る一つの原因となるのです。
だったら、クローンでどんなに等しい人格の彼を作ろうが、それは全くの他人なんですね。
で、そういう意識の元、クローンを作るのはいいんですけど、記事における飼い主の意識は、明らかにそれとは異なりますよね。
どんなに辛い出来事であっても、僕はそれを、その人と共有した過去の一部として尊重したい。
クローンによって、例えば亡くなった友人が甦るような感覚になったとしたら、その大切な過去の1ページを、無かったことのようにして忘れてしまうのではないか。僕はそれを最も恐れ、許せないんですよ。
だから僕はクローンに対し、否定的な感情があるわけなんですね。
しかし、先ほども言ったように、医療現場では、クローン技術を待ち望む声がありまして、まったく排除せよ、という訳ではないんですが。
でも、考えてみてほしいのは、当然、その技術が医療現場のみで使われるはずがない、ということです。現に、もはやその一例を知りました。
今回はこの辺で終わりますが、この先、このテーマに関する問題や事実が多く出てくるでしょうから、その度、よく考えてみたいものです。
それでは、また。
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